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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)1696号 判決

控訴人

杉原務

代理人

仲武

被控訴人

神戸市

代理人

安藤真一

奥村一挙

阿部清治

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件山林全部につき、控訴人主張のような被控訴人名義の所有権取得登記が存することは当事者間に争いがない。

二控訴人は、本訴において、右山林の所有権を現有する旨主張し、その取得原因として、もと右両山林はいわゆる実在的綜合人または権利能力なき社団たる十三部落(森、五毛、篠原、河原、所在家、大石、鍛治屋、畑原、上野、稗田、味泥、岩室、原田の各部落)が入会山として所有(総有)管理していたところ、(一)うち第一山林については、昭和一九年一二月一八日訴外山田村(昭和二二年被控訴人市と合併)の滞納処分により訴外山下多市郎がこれを代金二万円をもつて競落し、同人は即日これを控訴人に同額をもつて転売したことによりまた(二)第二山林については、これより前、昭和一五年四月三日控訴人が代金四五万円(但し、第一山林を併せた代金額)の約で直接前記十三部落からこれを買受けたことにより、いずれも控訴人がその所有権を取得した旨主張するのに対し、被控訴人は、基本的には、前記のような性質を有する十三部落の存在及び十三部落固有の本件山林管理処分権能自体を争う(被控訴人は、本件山林は、旧市制第一四四条、地方自治法第二九四条にいわゆる財産区たる十三部落に属するものであり、その管理処分権は十三部落所属市長である被控訴人市長がこれを専有する旨主張する)とともに、控訴人主張の山田村の第一山林にかかる滞納処分の無効、並びに第二山林に関する売買契約自体の不存在をもあわせて主張して(但し、前者については山田村の差押から公売、控訴人の転得に至る外形事実の存することはこれを認め、後者についても、控訴人主張の売買交渉のあつたことは認めるが、それは単なる売買契約の下交渉に過ぎない旨主張)抗争するほか、仮りに控訴人がその主張のような経過により本件両山林の所有権を取得したとしても、被控訴人は昭和二〇年八月三一日控訴人、被控訴人市長中井一夫、十三部落の三者間の和解契約により第一山林は十三部落から(但し、名義変更手続は控訴人から)第二山林は十三部落から、合計金四五五、〇〇〇円の支払いと引換えにその所有権譲渡を受け、その旨登記手続も了したから、控訴人はいずれにしてももはや本件両山林の所有権を有しない旨主張する。

よつて、本件では、まず、右被控訴人主張の和解契約の存否、内容等について検討する。

〈証拠〉を綜合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  被控訴人代表者市長中井一夫、十三部落各協議会長(その成り立ちについては後記参照)並びに控訴人は昭和二〇年八月三一日、要旨次のような記載のある覚書に連署、押印し、よつて本件山林所有権が名実ともに被控訴人市に帰属することを相互に確認した(但し、十三部落協議会のうち大石、新在家、畑原の各部落は副会長が顕名代理し、味泥部落の分は便宜他の協議会長が直接代理の方式によりこれをなしたが、もとより本件では右覚書の成立自体に争いはない)。すなわち、「①控訴人所有名義の第一山林、十三部落所有名義の第二山林の各所有権は同日各名義人より被控訴人に有姿のまま移転する。②被控訴人は同年九月五日右両山林の所有権移転登記を受けると引換えに、十三部落に対し金四五万五千円を交付する。③十三部落協議会長は被控訴人に対し、本件山林につき、訴外亡松本遠瀬の賃借権(一部)、その他住民の入会権等一切の負担なきことを確約し、もし問題を生じたときは、各協議会長の責任においてこれを解決し、損害が生じたときもその賠償の責に任ずる。④被控訴人は本件山林中、墓地、火葬場とその近辺三万坪以内の土地を墓地予定地として、行政上支障なき限り、十三部落に無償使用させる。」

(二)  右覚書は後日のため一五通作成され、各署名者に取り交わされたもので(従つて、協議会は各部落毎一通)、右覚書の内容については、もとより関係人に何らの異議はなく右二項で約された所有権移転仮登記手続(これが、冒頭一、記載の当事者間に争いない被控訴人の所有権取得登記原因)と金銭の授受が滞りなく履行されたのはもちろん、四項の約定についても、本訴提起後である昭和三三年四月八日被控訴人は正式に約定土地の使用許諾を与え、都賀順之助、山口寛治郎、井垣実太郎ら十三部落の各協議会長側でもこれに応じ「前記覚書の趣旨にそつて使用する」旨記載した念書を被控訴人に差入れている。

(三)  また、被控訴人によつて支出された前記金四五万五千円は、昭和二〇年九月上旬前記十三部落協議会長、控訴人ら協議の結果、控訴人に対し金七万円(補償金名義で五万円、還付金名義で二万円)、各部落に対しそれぞれ金二万八千円、各協議会会長個人に対し金千円、副会長個人に対し金二〇〇円(いずれも記念品料名義)等に配分された(控訴人が、前記金員を受領した覚えはない旨供述する点は到底措信し難い)。なお、前記覚書の記載上、金員受領者を十三部落協議会とし、控訴人の名を現わさなかつたのは、被控訴人側が後記のような事情で、第一次的には控訴人の第一山林所有権は単なる登記名義のみで、その実体を欠き、その権利他にありとせば、それは第二山林とともに依然十三部落に属するとの建前をとつたためにほかならず、被控訴人としては、控訴人が契約当事者として前記のような分け前に与つたことは、もとよりこれを諒承し何ら異存なかつた。

以上の事実が認められ(なお、右の事実中、覚書の当事者、契約の法的性質は別として、被控訴人が本件両山林所有権を取得する趣旨で前記のような覚書が作成されたこと自体は、控訴人もつとに自認するところである)、右認定事実に反する〈証拠〉は、いずれも前掲各証拠に照らし措信せず、他に右認定事実を左右すべき証拠はない。

ところで、本件山林に関し前記のような内容の覚書が作成取り交わされ、所有権移転登記、金銭の授受が行われるに至つたについては、次のような事情があつたことが認められる。すなわち、〈証拠〉を綜合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件山林は神戸市東部の北側背面山地一帯に位置する広大な山林であり、古くは庄内十三カ村、または庄内組合十三カ村と総称されるいわゆる自然発生的生活共同体たる本件十三部落の住民がこれに入会い、雑草、秣草、薪炭用立木等を採取して収益していた山林で、その管理は各部落から選出された代表十三名(組長、のちの協議会長)で構成する庄内会(のちの連合協議会。その代表を年番、のち連合協議会長という)によつてなされていたが、その後明治二二年の町村制実施により、十三部落が公法人たる西灘村、都賀浜村(のちの西郷町)、六甲村の三カ町村に分属編入され、更に昭和四年右三カ町村が被控訴人市に合併されるような変遷があつたのに伴い、本件山林も、当該所属市町村の建前としては、財産区たる十三部落に帰属し、従つてその管理処分権も当然市町村長がその名においてこれを行使すべきものとして取扱い、その運用の実際面においても、入会の解体と相俟つて(本件山林の原始的使用収益方法である入会慣習は次第に衰微し、専ら他に使用させて金銭収入を挙げ、地租公課等の公益費に充てるだけの管理がなされるようになり、遂には一部地盤の転売すらはかるようになつたもので、少くとも昭和一五年頃には、既に前記入会慣習は消滅していたと認められる)、漸次右建前にそうようになり、現に昭和六年頃庄内会が連合協議会と改称の上自ら制定した灘十三大字連合協議会規定によると、同連合会は、住民の意思を代表し、本件山林等の管理処分につきその管理者たる被控訴人市長を「補佐する」立場にあることを明定し、(第一条)その運営は過半数をもつて決することとし、その処分についても、いわゆる発案認可制(旧米の慣習尊重の趣旨で、例えば山林売却のさいは、まず十三部落連合協議会がその下相談をし、買主を物色し、契約条件を下交渉した上、協議会長が財産管理者たる市長に発案認可申請し、認可があれば協議会において同旨の決議をなし、市長にその旨報告すると、市長においてこれを諒承した場合に限り、市長が自己の名において買主と売買契約を締結し、登記手続をなし、代金は買主が市の納付書により直接市に納入する方式)を採ることが確立され、訴訟、調停の進行、監督官庁等に対する各種の申請も、全て市長の名においてなし、毎年秋にある松茸の競売も灘区役所が主催し、十三部落側にも異議はなかつた。もつとも、被控訴人市長は、旧来の沿革を極力尊重し、出来得る限り協議会の意思に沿つて管理をなし、実際上その自治にまかせる面もあり(一方、協議会側も、収益金の使途は専ら学校や公会堂の建設等公共用費に限定し、市長の意を体していた)。例えば、賃料、地代等一部の収益金は連合協議会長または十三区長なる名において、連合協議会が直接収納し、特に被控訴人市の予算収支に組入れることなく、別途、報告を受けて部落有財産台帳に記帳する程度にとゞめ、また地租も部落の名において自らの計算で所在地町村に納付する仕組が続き、この限りにおいては、事実上往時の生活共同体たる十三部落たる一面も残していた。

なお、本件山林の公示手段としてはは、明治二二年頃から大正四年頃にかけて順次十三部落共有名義の所有権取得登記が整備された(但し、一部山林は大正元年葺合区と交換取得し、その旨登記されているものもある)。

(二)  ところで、十三部落連合協議会は昭和一五年頃、時代もようやく戦時色濃厚となり、また本件山林も既に入会山としての機能を失つてから久しい情況に照らし、本件山林全部を一挙に売却換金しようと考え(当時の連合会長は井垣実太郎)、鍛治屋在住の訴外前田重太郎の仲介により控訴人と再三接衝の末、結局同年四月三日本件第一、第二両山林を控訴人に対し代金四五万円で売却する態度を決し(大石会館における全体会議)、控訴人もこれを諒承し、よつて井垣会長はその旨被控訴人人市長に発案許可申請をした。

(三)  ところが、被控訴人市は、本件山林地帯が市の将来の発展上不可欠の土地である(水害予防対策、公園、住宅地開発等)との配慮から、昭和一二年頃には早くもいわゆる部落有財産の市への完全移管、裏山開発機関の設置等の方針を市会の決議をもつて採択し、以来これを市長とするに至つて居つたのであり、この観点から、本件山林を個人たる控訴人に移譲するが如きは到底これを容認することはできないとして、容易に前記処分案を許可しなかつた。しかし、協議会側(都賀順之助、山口寛治郎ら)では、かつて被控訴人市の三カ町村合併直前に一部山林の売却をはかり、滞りなく所属町村長の認可を得た経験もあつたところから、なおあきらめず、従来の旧慣尊重の方針を楯に、前記処分案を実行に移そうとし、地元市会議員にも働らきかけて被控訴人市当局に再三にわたり強力に陳情し、会長は昭和一七年一二月頃にも再び被控訴人市長(十三部落有財産管理者)宛「土地所有権移転手続執行願」を提出し、問題は次第に政治色を帯びるようになり、被控訴人側でも昭和一八年頃には協議会側に対し金四五万円を支出しても完全移管を果したいから控訴人への売却を思い止まるよう解決案を内示したこともあつたが(なお、市会は昭和二〇年三月にも同旨の方針を再確認し、実施方法を市長に一任した連合協議会はその頃から昭和一九年八月頃にかけて再三協議の結果、その内情は知らず、結果としてはこれをも拒否し、控訴人との売買方針を固執し、ついには、本件山林処分権は十三部落協議会が専有するもので、被控訴人市長は単に手続上、形式上の管理者に過ぎないかの如く主張するに至つた。

(四)  しかるところ、昭和一九年一二月になつて次のような事件が発生した。すなわち、訴外兵庫県武庫郡の山田村(村長高田省三)は、十三部落が村税僅か約三一円を滞納したとして、本件山林のうち第一山林約百町歩につき滞納処分を執行し、同月一八日の公売で同村の村会議員山下多市郎がこれを代金二万円で競落し、即日控訴人がこれを同額で転得し、よつて控訴人は第一山林に関する所有権取得登記手続を受けた(以上のような経過が存したことにつき当事者間に争いがないことは前記のとおり)。

(五)  右事実を知つた被控訴人市(市長野田文一郎)は、他に財産、資力がないわけでもない十三部落の、僅か三一円程度の村税滞納に関し、少くとも時価二万円はする本件第一山林の如きが滞納処分に付され、しかもこれが控訴人の転得するところとなつたのは、前記高田村長、十三部落協議会長、控訴人ら通謀の上、数年来懸案の前記山林売却認可問題を、脱法的に十三部落側の意図どおり解決し、換価金を着服しようとする犯罪の嫌疑があると判断し(元来、被控訴人市としては、かかる滞納処分通知等はすべて本件山林管理者たる市長宛になされるべきである。との立場を採つていた)、昭和二〇年六月頃灘十三部落有財産管理者の立場で、被控訴人市長野田文一郎名義をもつて、神戸地方裁判所検事局に対し、前記山田村村長高田省三、連合協議会長都賀順之助の両名を告訴するに及んだ。

検事局では直告事件としてこれを受理し、事案に鑑み、直ちに捜査を開始し、担当検事岸本静雄は関係書類を差押えるとともに、その頃から八月頃にかけて被疑者両名を数回にわたり任意取調べをし、控訴人をも参考人として呼出しその経緯を聴取した。

(六)  しかし、当時はまさに戦局破綻直前の時で、神戸市も戦災のため焦土と化していた際で、協議会側でも、岸本検事の示唆により、懸案解決の上、右告訴事件の捜査を免れたいと考えるようになり、他方被控訴人側でも終戦(八月一五日)直前に市長に就任した訴外中井一夫が、前記背山確保の市是を体し、市の復興に心血をそそぎたいと決意していた折からでもあつたので、何も関係人の刑事責任を問うのが市の目的ではないと考え、本件山林の処分問題さえ早急に円満解決すればよいとの方針を採つた。そこで、昭和二〇年八月三一日前記都賀会長、他の部落協議会長、控訴人らは右中井市長を訪ね、円満解決、告訴取下を懇請した結果、本件山林全部は被控訴人市へその権利支配を完全に移管し、部落や控訴人は従来の経緯を水に流して本件山林から一切手を引き、市はその対価として金四五万五千円を部落側に交付することに関係人全員の合意が成立し、前記覚書が作成交換された。しかして、さきの告訴も取下げられたので、前記被疑事件は起訴猶予処分に付され、ここに本件山林の処分問題、所有権帰属問題はは完全に解決、落着した。なお、右覚書作成の接衝段階においては、主として市の支出すべき金額について十三部落側から多額の要望があり、これを聞き及んだ中井市長は、時期が国家存亡の時期でもあり、前記都賀や控訴人らは、この期に及んでもなお徒らに私利私欲をむさぼる者であるとして、同人らに公憤を覚え、時に大声で叱責したこともあつたが、他に格別威圧を加え、また前記捜査を利用して同人らを屈服させるようなことはなかつた。

(七)  しかるに、控訴人は、前記被疑事件発生後約八年を経過した昭和二八年七月に至り、突如本訴を提起して紛争を蒸し返し、入会権等に関する尨大な資料を準備、提出し、また昭和三一年一二月にはかつて昭和一五年に十三部落協議会が決定したままの代金額四五万円を供託し、被控訴人市と対決の構えを整え今日に及んだ。

以上の事実が認められる。

右認定事実に反する〈証拠〉は、前掲各証拠に照らし措信せず、他に右認定事実を左右する証拠はない。

以上のような経過に照らして前記覚書による契約をみるに右覚書による契約は、本件山林につき被控訴人市と十三部落協議会、控訴人との間につとに利害の対立が存し、被控訴人市は所有権の完全移譲を期するのに対し、十三部落側は控訴人への売却換金の実現を固執していたのに鑑み(但し、十三部落側でも、当時は必らずしも独自の処分権能が部落に確保されているとの主張をしていたのではなく、専ら当時の規約、慣行に照らし、被控訴人市がこれを認可することを希望していたもので、現に、本訴でも控訴人は当初十三部落を被控訴人市長管理にかかる財産区と理解し、そのように主張していた)、右紛争をこれら関係人の間で、一挙に解決すべく、互いに譲歩の上、締結されたもので、控訴人主張の昭和一五年の控訴人、十三部落協議会間の第二山林売買の成否(従つて、十三部落の山林処分権の存否)、昭和一九年山田村が第一山林に対してした滞納処分の効力(従つて、控訴人の第一山林の所有権取得の効力)に関する十三部落協議会側控訴人も含む)と被控訴人市側の見解の相違はこのさい不問に附し、要するに関係人間で本件山林の所有権が被控訴人市に帰属することを確認し、その対価として同市は金四五万五千円を十三部落(並びに控訴人)に交付し、以後互いに異議なきことを約することを骨子としたものであつて、民法上の和解契約の性質を有するものと解するのが相当である(それ故、右契約は、仮りに控訴人主張のとおり、十三部落が当時でもなお旧来どおり実在的総合人または権利能力なき社団たる性質を有し、従つて本件第二山林につき独自の処分権に基き有効にこれを控訴人に売却し、且つ、後に生じた控訴人の第一山林取得経過がすべて有効であるとしても、少くとも控訴人と被控訴人市との関係では、右契約の時点において全部被控訴人市がその所有権を完全取得したことを認め、以後異議なき趣旨を含んでいることはもちろんである。証人中井一夫が「本件覚書による契約は極めて政治的なものである」旨供述するのは以上のような趣旨を述べたものとして理解することができる)。

そうすると、控訴人は、右和解契約によつて、被控訴人市に対し、もはや如何なる意味でも本件山林所有権を主張しえないこと明白である。

控訴人は、本訴における基本的前提問題として、実在的綜合人たる十三部落の権利主体性と同部落独自の本件山林処分権能が現存することを極力主張、立証し、なるほど本件山林の管理方法の中には、事実上旧来の自然部落たる十三部落の入会慣習に由来すると認められる一面の存していたことは前記認定のとおりである。また、一般に入会山の解体過程に則して我が国の法制をみるに、元来、明治二二年の町村制は、時の政府が法制近代化の一環として、旧幕時代の自然発生的な村落を整理統合して、公法人たる町村制を確立することを意図して制定されたものであり、その実施によつて入会林野の公有財産化が行われたこと、いわゆる財産区制度は、この過程において、旧部落住民の入会山利用慣習をなお尊重すべき必要が生じ部落民は従来のいわゆる(部落財産が前記のような形で一挙に町村に吸収されるのを嫌つた)、町村の下位にある部落に特別に独立の公法人格を認め、その管理者を町村長としたものであるが、その実態は多く旧来の慣習のままであり、従つて、財産区制度と地域住民の入会意識(建前と実際)は、なお整合しない一面を有していたこと、後に制定された民法は、入会権なる利用物権を認めながら、前記町村制との関係を十分調整せず、専ら慣習に従う旨定めるに留めたこと、以上の事実は歴史的事実として当裁判所にも顕著な事実であり、本件山林管理の変遷過程が、前記のとおり事実上必らずしも明らかでなく、十三部落の法的性質について当事者間に争いが存するのも、一つには右のような基本的、一般的な法制度のあいまいさにも由来することは明らかである。

しかし、本件和解契約では、まさにこのような基本的関係にかかわる紛争を解決するため、その法的解明自体を留保し、または不問に附した上、ただ被控訴人としては十三部落協議会が自ら当然の前提とするその権利主体性はそれはそれとして認めた上、同部落協議会並びに控訴人との間で、互いに譲歩し、結論的に、専ら和解の時点における本件山林所有権の帰属に関し合意を遂げたものと解すべきこと前記のとおりであり、少くとも控訴人被控訴人間では本件山林所有権が被控訴人に完全に帰属したことが確認されたことは、覚書の内容とその成立経過に照らし明白であるから、もはや控訴人所論のような十三部落の法的性質とその変遷、従前における本件山林所有権の帰属とその移転過程等を追及することは、本件では必らずしも必要でないと言わなければならない。

のみならず、本件第二山林の帰趨については、仮りに控訴人がその主張のとおり昭和一五年の売買により十三部落からその所有権を取得したとしても、その登記を欠くことは控訴人の自認するところであるから、同物件を昭和二〇年に十三部落から取得しその移転登記を受けた被控訴人市に対しては、その所有権取得を対抗しえないこと明らかである。かかる場合、被控控人市は登記の欠缺を主張しるう正当な利益を有する第三者でないという控訴人の主張は、独自の見解で採るに足りないし、また、本件の場合被控訴人市はいわゆる背信的悪意者または不動産登記法第五条の登記申請義務者として控訴人の登記の欠缺を主張しえないとの主張も、右主張を裏付けるに足る確証がないばかりか、前記和解によつてそのような事情は全て消去されたと解すべきであるから、いずれも失当である。

三次に、控訴人は前記和解契約の無効及び取消の主張をするから検討する。

控訴人は(1)まず、契約当事者たる十三部落は、その財産管理者被控訴人市長の名において当の被控訴人市と契約を締結したとして、同管理者の本件山林処分権の不存在、双方代理及び信託法違反による無効を主張するけれども、本件では十三部落がその管理者被控訴人市長の名において契約を締結した事実は認められず(そのような法律的見解を述べる被控訴人の主張及び前掲証人中井一夫の証言は採用し難い。そして仮りに十三部落の財産管理権が実体法上被控訴人市長に帰しており、その意味で右契約が実質上被控訴人市と十三部落管理者たる同市長の間で成立したものと解し得るとしても、行政機関、行政庁等の長ないしその機関が、それぞれの資格において、それぞれ法定せられた権限の範囲内で互に関与するとき、特に本件のように、すでに実質的当事者との間で内容の定まつた契約の形式的成立過程において関与するときの如きは猶更、その間に双方代理の法理は適用がないと解するを相当とする)、また、十三部落連合協議会の決議不存在をいう点も、その不可欠たることについて何ら具体的主張もなく、右契約は、現に住民を代表する各協議会長(灘十三大字連合協議会規定第一条参照)が連名で異議なく締結し、その履行もなされていることは前記認定のとおりであるばかりか、右の点は控訴人、被控訴人間の契約の効力には直接の消長を及ぼさないから、いずれにしても右主張は失当である。〈(2)ないし(4)の論点省略〉(5)さらに、控訴人は本件第一山林の公売処分が無効であると信じて本件和解契約を締結したが、そうでなかつた点に要素の錯誤があるから無効である旨主張するけれども、一般に和解には民法第六九六条が通用せられ、その限りで民法第九五条の錯誤の効果は制約を受けるばかりでなく、本件和解契約は右公売処分の無効を重要な要素または争の対象たる事項の前提として締結されたものではなく、却つて契約上はこれを不問に付した上締結されたものであることは前説示のとおりであるから、右主張もまた失当である。〈(6)の論点省略〉

四よつて、控訴人の本訴請求は爾余の判断をなすまでもなく全て失当としてこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当で本件訴控は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。(宮川種一郎 竹内貞次 畑郁夫)

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